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2014年11月の総会で会長に選任された菅谷です。顧みれば、薬業如水会との関わり合いは、昭和60(1985)年に初めて会合に参加したのが始まりでした。
当時、紅林先輩(元三共専務、当会初代会長、名誉顧問)のもと、東京薬業如水会(仮称)と冠して第3回目の開催で漸く(仮称)を降ろした記念すべき会合でもありました。
本会は、1970年代初頭、一橋の同窓が少ない薬業界にあって、先輩数人の相互の情報交換と勉強会から始まりました。
製薬産業の急成長で今昔の感ありますが、先輩世代や我々は転職や所属会社の新規参入で薬業界に身を置くことになった人達が殆どでした。
私自身、本会諸先輩やその人脈ネットワークを通じたご指導、ご支援は、会社の異業種参入とともに薬業界に転進した身に、なにより心強い味方であり、如水会会員同士の強い絆や有難さを身に沁みて感じたものです。
10年ほど前になりますが、某先輩から託された資料のなかに、
古い手書きの名簿とともに昭和56年7月29日付紅林幹事名の薬業如水会(東京)9月14日開催案内があり、
その中に「前回会合以来3年近い月日が経過した」とあり、
少なくとも昭和53(1978)年には薬業如水会としての体裁を整えて、当会がスタートしたことが窺えます。
昭和59(1984)年以降は、毎年会員が卒業年度の輪番による当番幹事となり、企画から当日の運営まで一切を取り仕切っていました。
今から思うと若気の至りですが、小職は平成8(1996)年の年度幹事を経験して、
単に申し送りにより当番幹事に催行を委ねるのではなく、会の運営基盤を整えて組織として継続的な活動を行うべきことを痛感し、
紅林先輩や原先輩(元吉富製薬常務、第2代会長、名誉顧問)に一橋大学開学の理念であるキャプテン・オブ・インダストリーの精神を継承し薬業界のリーダーシップを発揮できるような活動を目指すべきことを提案しました。
そして、平成9(1997)年11月20日の総会に向けて規約の起草と本部執行体制の構築に参画し、以来理事会の末席を汚してきました。
平成17(2005)年には医療・薬業如水会と改称し、医療・福祉関係者に呼びかけ、ヘルスケア産業全体に活動基盤を拡げました。
平成19年(2007)年にはホームページを開設、翌年には薬務研究会を立ち上げ、
わが国の医療政策や産業育成等の諸問題について、医療・薬業界関係者のみならずバイオベンチャー、ファイナンス、
ベンチャーキャピタル等で活 躍する如 水 会員ならびに本 学出身者の方々が一堂に会し、
広く産官学の対話の場として万機公論に決し、それを世に発信していきたいとの思いがありました。
こうした医療・薬業如水会の活動を企業や組織の中核として活躍する若き現役世代に広げ、
当会の存立基盤を強固にしていくとともに、一橋大学卒の医家の集まりである如水医人会との連携を深め、
如水会の旗の下オール一橋人としてわが国の医療改革をはじめ社会政策の諸問題に取り組んでいきたいと考えています。
創会の精神を後輩諸君に引き継ぎながら、この一年、本会のさらなる発展を期したいと存じますので、ご支援、御協力の程よろしくお願いします。
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会長 菅谷 勉
昭和49年 社会学部卒業
ノーベルファーマ株式会社
常務執行役員
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