医療・薬業 如水会の生成と発展について
1. 薬業の私的懇話会の頃
1970年頃、在京の薬業関係者で、三共株式会社(現第一三共)の紅林が卸流通に関係する中で、
東邦薬品の三浦、安藤(群馬・高崎)の安藤諸氏と私的に会合をしていたのが、会発足の端緒。
当時、メーカー・流通とも薬業界に携わる一橋関係者はごく僅かで、メーカーでは武田、シオノギ、
山之内、三共に数名から20名程度を数えるにとどまっていた。
2. 東京薬業如水会の頃
1980年頃、如水会館の新築に合わせて、徐々に薬業に携わる一橋関係者も増加してきたことも相俟って、
東京如水会の名前を新たに冠して、1981年新装成った如水会館記念室で第1回東京薬業如水会が開催された。
初代会長には三共の紅林が就任した。
その後約10年間、東京薬業如水会として、総会に加えて、各界著名人を講師に招いて業界変貌、
過去の時効こぼれ話、懇親会を開催した。
渡辺美智雄元厚生大臣、尾身幸次前財務大臣(元科学技術庁長官)に業界の将来展望
・サリドマイドこぼれ話を披瀝いただいたのもこの頃。
3. 薬業如水会の頃
1990年代に入って、東京の冠を外して薬業如水会に脱皮した。
同時に専業メーカー・流通関係者に加えて、大手化学・繊維・食品メーカーの多角化部門の薬業関係者に広く、
薬業如水会への参集を呼びかけた。
登録会員も200名を超え、総会・懇親会への参加者も50名を越えることもしばしばとなった。
4. 薬業如水会から医療・薬業 如水会への発展
2000年を超えて、21世紀に突入すると、薬業にもグローバル化、メガトレンドの流れが及んできた。
製薬会社、医薬流通企業も合掌連衡の時代に突入した。
また、大手化学・繊維・食品メーカーの多角化部門も企業体として、合掌連衡の中核を成すことも多くなった。
このような中、薬業如水会の第3代会長には、味の素の相原が就任した。
医薬品は医療の一部を成すに過ぎず、医療サービスの分野に従事する一橋関係者が増えてきたこともあり、
会の枠組みを拡大発展させて、2005年からは会の名称を医療・薬業如水会に変更した。
5. 時代の流れとともに
2006年には、医療・薬業如水会第2代会長にアリジェン製薬社長の所が就任した。
医療・薬業の枠組みの中で、
新しい切り口の化合物導入と金融を組み合わせたバイオベンチャー経営者が会長に就任したことは興味が尽きない。
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